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2018年10月19日 (金)

第16回 元横浜・門倉健さん

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聖望学園高 → 東北福祉大 → 中日 → 近鉄 → 横浜 → 巨人 → シカゴカブス → SKワイバー
ンズ → サムスンライオンズ →聖ヶ丘病院硬式野球部

高校時代は3年春に埼玉県大会、関東大会ともに準優勝を経験。大学時代はユニバーシアード日本代表に選出される。95年ドラフト2位で中日ドラゴンズから指名を受け1年目から7勝を挙げ、2年目にはローテーションに定着。00年にトレードで近鉄バファローズに移籍。01年は自身初の開幕投手を任されリーグ優勝に貢献。04年に横浜ベイスターズへ移籍し、05年にはセ・パ全球団勝利を達成。06年のオフにFA権を行使して読売ジャイアンツに移籍。2年連続のリーグ優勝を経験。その後活躍の場をアメリカ、韓国、国内クラブチームに移す。12年に現役引退。現在は少年野球の指導者、解説者として活躍中。

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193㎝というプロ野球選手の中でもひと際大柄な体格を武器に、現役時代は5度の二桁勝利
をマークした門倉健さん。現在は解説の仕事以外にも、少年野球の全国大会常連チームである『都筑中央ボーイズ』の指導者として活躍中です。ご自身のプロに至るまでの苦労や経験、そして未来を担う球児に向けて熱いアドバイスを語ってくれました。


遊び=野球だった幼少期

Img_kadokura2 野球を始めたきっかけは、実はこれといった理由が思い当たらないんですよ。なぜなら僕らの子どもの頃の遊び=野球しか選択肢がなかったので、周りの友達がやるから僕もやるといった感じで自然と始めましたね。

そこから上手くなりたいという気持ちが徐々に芽生え、小学生になったら親に頼んで市内のチームに入れてもらいました。なぜかわからないけれど、小さい頃は“プロ野球選手になってヤクルトスワローズに入団する”という夢をずっと描いていましたね。

背と足だけ自信があった中学生時代

でもだからといって、向上心が強かったというとそうでもないんです。好きな野球を続けたい気持ちで中学時代は軟式の野球部に入部しました。その頃は自発的に動くわけでもなく、ただ指導者にやらされる練習にあまりいい思い出はありませんね。野球センスが他人より優れていたわけではないですが、背の高さは当時から目立っていました。小学6年で170㎝はありましたし、中学を卒業するときには190㎝を超えていました。

両親はそこまで大きくないし、牛乳は大嫌いだったので、なぜこんなに伸びたのかは自分でもわからないんですけどね(笑)。ただよくご飯を食べて、よく寝た記憶はあります。あと、足の速さには一応自信がありました。背と足だけを買われて高校に入学できたようなものです。

ランニングこそプレーヤーとしての原点

Img_kadokura3 高校時代はとにかく練習しました。その中でも走った記憶が強いです。冬場は校舎からグラウンドまで5.6kmあるのですが、僕は自転車移動ではなく走って移動していました。それに加え毎日自宅の入間市から飯能市の学校まで自転車通学。現代の高校球児みたいにウエイトトレーニングや、プロテインの摂取は一切やりませんでした。ランニングだけで上半身も下半身も鍛えたようなものです。

でも、それは今も僕の考えにあって、よく「野球にランニングは不要」とおっしゃる方もいますが、走ることはできなくなったら野球選手として終わりだと思いますね。それくらい野球と走ることは切っても切り離せない関係だと思います。

身近なライバルの存在が成長に繋がる

順風満帆と思われがちですが、僕の野球人生は要所で大きな壁にぶつかることが多かったですね。高校時代には同じチームにシニアで全国優勝した投手がいたので、負けられないと思って必死に練習をしました。それにプロに行けるかもしれない……と考え始めた高校3年時には指名されず、同県のライバルだった品田操士投手(花咲徳栄→近鉄)が指名をされたんです。

でも、そこで下を向かず「大学に行って、品田より良い順位で指名を受けてやる」という目標に切り替えることができました。プロに入った後では横浜時代に三浦大輔さん(通算172勝)よりブルペンでは一球でも多く投げるように意識していましたね。そういった身近なライバルが壁となり、その壁を逆境に変えて乗り越えてきました。彼らとの出会いがプレーヤーとして成長させてくれたといっても過言ではありません。

偉大な投手からのアドバイスが活きた

プロの世界は想像以上に過酷でしたが、どんな環境でも必ずチャンスというのは回ってきます。そういった場面で怖気づかず指導者が求める結果に対して、一発回答できたことが長くやり続ける上での秘訣だと感じました。そのために他人よりも多くの練習をすることが大切。練習はやればやるだけ自信に変わるものです。

中日時代に宣銅烈さん(現・韓国代表監督)という投手から「練習の時は一番下手であれ。試合の時はスーパースターであれ」とアドバイスをくれたのが今も胸に残っています。一番下手なら必然的に誰よりも練習をするしかないですよね。そして練習の成果を見せる試合では誰よりも自信を持って胸を張って投げていく。彼のアドバイスを聞いてからは人一倍練習をし、マウンドで堂々と投げられるようになり、結果がついてきましたね。

自分に合ったプレースタイルを確立すること

僕のように身長が高い選手だけではなく、身長の低い選手だってプロの世界には沢山います。だからこそ、無理に身体を大きくしようとするのではなく自然な形で、自分と向き合うことが肝心で、自分の体格に合ったプレースタイルを確立することの方が後々の野球人生に活きるのではないでしょうか。例え球速が遅くても打ち取る術はいくらでもあるのが野球の良いところです。フォームにしても、自分に合った理想のフォームを探すことが重要でありプロへの近道だと考えています。

失敗を恐れない気持ちを持つことが大事

子どもたちには野球を心の底から好きになって欲しいと切に願っています。やはり好きじゃないと長く続けられないですし、続けることで見えてくるものが必ずあります。練習がキツイ時もあるでしょうが、絶対先に明るい未来が待っていると思って欲しいですね。あと、少年野球を指導しているときにも「失敗を恐れるな」とよく教えています。成功よりも、失敗から学ぶことの方が沢山あるわけですから。そういったように野球から多くのことを学び、成長に繋げていって欲しいと思いますね。

【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)

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