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2015年6月 4日 (木)

第13回 元巨人・辻内崇伸さん

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大阪桐蔭 → 巨人 → JWBL(日本女子プロ野球機構)イーストアストライア・埼玉アストライアコーチ

高校時代は、2年秋からエースとして活躍し、3年夏の甲子園出場。一回戦の春日部共栄戦で球速156kmをマークし、その剛腕を披露した。さらに二回戦の藤代戦では、当時の大会タイ記録となる一試合19奪三振を記録し、大会通算で板東英二氏の83奪三振に次ぐ当時歴代2位の65奪三振を記録。チームは、田中将大擁する駒大苫小牧に敗れはしたが、初優勝を遂げた91年以来のベスト4まで勝ち進んだ。AAAアジア選手権大会では日本代表として出場し、松坂大輔擁する98年以来の優勝に貢献。その後、05年ドラフト1位で、オリックスとの競合の末に巨人に入団。毎年のように期待されたが、度重なる故障に見舞われ、一軍の登板機会がないまま13年に現役引退。現在は、日本女子プロ野球機構(JWBL)に所属する埼玉アストライアのコーチとして活躍中。

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大阪桐蔭のエースとして甲子園ベスト4に導いた辻内さん。最速156kmを記録したその剛腕に日本中が釘付けになりました。その球速まで辿り着いた学生時代の秘話や、多くのケガを経験し、何度も自分の体と向き合ってきた辻内さんだからこその貴重なお話をお聞きしました。

ひたすら走らされていた少年時代

Img_tsujiuchi300400_1小学生の時は、5kmある通学路を歩いて帰った後に、家の近くにある10㎞の堤防を走っていました。サボっていたら親が車や自転車で追いかけてきました。まさに「お前は野球で生きろ」という教育でした。

中学生の時は、シニアで土日しか練習がありませんでしたので、平日は中学校の陸上部の部活が終わった後毎日夕方6時から家の近くにあるシニアのグランドで、真っ暗な中一人でダッシュを1時間ほど走りました。疲れて休憩してると、親が見に来て「お前何やっとんねん!」と怒られていましたね。野球に関してはとても厳しい教育を受けてきました。


食事の量がプロの体を作る

Img_tsujiuchi300400_2_2食事面で特別気を遣っていたことはありませんが、家が農家なので、美味しいお米や野菜が大量にありました。ですので、毎日たくさんご飯のおかわりをしていましたし、「絶対出てくるものは食べなさい」という教育を受けてきましたので、苦手な野菜も必ず食べました。そのおかげで、今では好き嫌いはほとんどありません。

高校の寮生活でも、朝からご飯を400g(茶碗約3杯)食べるのがノルマで、食が細い選手たちが「苦しい…」と食べ終わるまで1時間かかっている中、僕は「美味しい、美味しい」と10分足らずで完食していました。家でたくさん食べていた成果だなと思いました。

成長期は自重トレーニングで下半身強化

小学生時代は、身長などいろいろな面が伸びる時期だと思います。その時にウエイトトレーニングのような重い負荷をかけるよりも、自分の体重でトレーニングをすることが一番だと思います。高校生の時もウエイトトレーニングはしましたが、やはり自分の体重を支える下半身をひたすら鍛えたことが、高校3年生の結果に繋がったのだと思います。

練習の継続がスピードボールに繋がった

実際スピードを意識して練習したことはほとんどありません。ランニングをポールからポールまでひたすら2時間体がボロボロになるまで走ったり、ジャンプ50回を20セットするなどずっと続けていました。本心は自分で考えて練習したかったんですけど、メニューを考えてくれる指導者が自分の周りには多かったんです。高校の監督からも、僕だけランニングや強化練習などの別メニューをやらされていました。きっと監督は、自分が嫌われてもいいという覚悟を持って僕に練習を課していたんです。その与えられた課題をしっかりやり続けた結果が、スピードボールに繋がったんだと思います。

151㎞という数字がプロへの道を開いた

プロ野球への意識は、高校2年生の時、球速151kmを計測したことが新聞一面に載った時に、周りが「プロ、プロ」と騒がれるようになった時です。プロになる目標はなかったので、最初は「なんなんやろぅ…」って思っていていました。でも、周りから言われるようになってから、「プロ野球に入れるのかなぁ」と意識し始めるようになったんです。それから甲子園でベスト4まで進んだ時、野球場や監督の周りに多くの球団スカウトの方が来ていました。東京に行きたかったというのもありましたが、プロに入るならやはりジャイアンツに入りたかったという気持ちが強かったです。

自分をサポートしてくれた両親に感謝

サポートと言っても、練習はほとんど監視でしたね(笑)。でも中学のシニアや高校野球部での父母会で両親はチームを支えてくれていました。土日の休みもすべて僕のために使ってくれていたので、当時はわかりませんでしたが、今は本当に感謝しています。

ケガをポジティブに捉える考え方が大切

中学1年生の時、肘をケガして1年間投げることができませんでした。その時は毎日手首のダンベルトレーニングとランニングメニューだけをしました。この練習に慣れるまで半年かかりましたが、半年後には全然疲れなくなりましたね。この半年で体力がとてもついたということでしょうね。そしてケガが治って、復帰後初めてピッチングをした時に、球速がケガの前に計測した105kmから115kmに10kmアップしたいました。走っていたからというのもありますが、手首を鍛えていた効果が出たんだと思います。

ケガは野球をしている以上起こるものですし、ケガをしてしまったら気持ちも落ち込んでしまいます。しかし、そんな時は「今のレベルよりもパワーアップするためにケガをしたんだ」という考えを持つことが大切だと思います。ケガが治ってからさらにレベルアップしているとイメージを持ち、毎日継続してトレーニングを行うことが大切だと思います。

【取材・文】佐藤主祥
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)

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