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2014年6月 7日 (土)

第12回 元横浜・野村弘樹さん

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PL学園 → 大洋・横浜 → 横浜コーチ

広島中央リトルでは、1学年上の元阪神・金本選手とともに技術を磨き、ボーイズリーグ・広島ジャガーズを経て、名門・PL学園に入学。87年、立浪和義(中日)、片岡篤史(阪神等)、橋本清(巨人)、宮本慎也(ヤクルト)らを擁した強力チームのエースとして史上4校目の甲子園春夏連覇を成し遂げ、同年秋のドラフト3位指名を受け、横浜大洋ホエールズに入団。88年、対広島戦で高卒ルーキーとしては史上5人目のプロ初登板初完封勝利を挙げ、90年、プロ入り初の2桁勝利を挙げ、オールスターゲームに出場。翌91年は2年連続二桁となる15勝を挙げると、93年には17勝を挙げ最多勝に輝く。98年には3年連続二桁勝利となる13勝を挙げ、チームを38年ぶりのリーグ優勝、日本一に貢献。同年の日本シリーズは開幕投手に抜擢され、投打にわたり大活躍。02年、現役引退。

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甲子園で春夏連覇を達成した強豪・PL学園のエースだった野村さん。数々のドラマを生みだしたPL学園の歴史の中でも、史上最強のチームだと言われたのが野村さんの世代でした。卒業後は、ドラフト3位で当時の横浜大洋ホエールズに入団。1998年、横浜ベイスターズが日本一になった時には、エースとして活躍しました。日本一になる時はいつもエースだった野村さんはどんな少年だったのか、お父様との関わりについても貴重なお話をお聞きしました。


父の教えを守り抜いた少年時代

Img_nomura2 小学2年生でリトルリーグに入り、翌年にはボーイズリーグに移りました。ルールの面において、より本格的に野球をするにはボーイリーグのほうがよいという父の判断でした。私にとって、野球と父は切り離せないもの。野球を始めたのも続けてきたのも、父がいたからです。

毎日、父が会社から帰る頃には、家の庭で素振りをしていました。していないと怒られるからです(笑)。そして父が帰ってきたら、一緒にキャッチボール。日が落ちてからもボールを見られるように、黄色い蛍光塗料を塗っていました。今は市販でもそのようなボールがありますが、当時はありませんでした。また、バットをまっすぐ振れるように、竹竿で素振りをしていました。手の使い方や腕だけでなく、体を使ってバットを振る練習になりました。また、子どもの頃は体がかたかったため、柔らかくするために、毎日、黒酢を飲んでいました。これも、父の教えです。父から教えられたすべてのことは、やりたいやりたくないではなく、とにかくやり続ける習慣のようになっていましたね。


硬式と軟式、どちらのチームに入る?

私は小2という早い時期から硬式を始めましたが、硬式と軟式、どちらがよいかということは、一概には言えません。硬式のボールは重いので、成長期の子どもには負担になる場合もありますし、ボールに慣れることで強い体ができるとも言えます。また、軟式出身のプロ野球選手はたくさんいますから、硬式よりも技術が劣っているわけでは決してないのです。同じ学年でも体の大きさに違いがあるので、同じことは当てはまりません。ただ、私の経験からすると、硬式と軟式ではボールのバウンドが違いますから、より「野球感」をつかめるのは硬式だと思います。

ご両親がお子さんを連れて、チームの練習を観にいくことをお勧めします。まずは、硬式か軟式かというより、指導者の方に会いチームの雰囲気を見てみることが大事です。ご両親もお子さんも、「このチームは合いそう」「雰囲気に少し馴染めない」など、きっと感じることがあるはずです。

右投げから左投げへ変わったのは…

Img_nomura3 小学生の頃、外野に入場するためのお小遣いとおにぎりを持って、広島市民球場に通っていました。目の前で試合を見て、漠然と「プロ野球選手になりたい」と思い始めていましたが、その頃プロ野球選手は、かっこよくて遠い存在。スタンドから声を掛けるなんて、できませんでした。

私がプロ野球選手になるために行ったのは、「父の教えに従う」ということでした。今のように野球教室はなく、父に教えてもらいついていくしか方法はないと思っていたからです。

ただ、1つだけ自主的に始めたことがありました。それは、左で投げること。私はもともと右投げだったのですが、巨人の星の星飛馬に憧れて、左で投げる練習をしていたのです。父は「ポジションが限られるから右のほうがいい」と言っていたのですが、左で投げることだけはやめませんでした。そうすると父は、右用のグローブを裏返して使っているのを見かねて、左用のグローブを買って来てくれたのです。今思うと、右と左の両方で投げていたのが、バランスのよい体をつくるのにひと役買っていました。ですから、片側の動きばかりをひたすら続けるのではなく、反対側を使う動きもすることを、私はいつも勧めています。

自分を高めてくれる選手との出会い

中学生になると、大阪のボーイズリーグチームと戦うようになりました。対戦相手のチームにいたのが、のちにPL学園でチームメイトとなる橋本と立浪。その頃から2人は選手として非常に目立っていました。私がPLに入ろうと決めた頃、2人も同じくPLに行くという話を聞き「そんな高いレベルなら、PLに入ってもベンチすら入れないかもしれない」と危機感を抱くようになりました。そこで始めたのが、週3回のジム通い。それまでも毎朝6時に起きてランニングをしていたのですが、さらに自主トレを強化しました。ただ、ジムと言っても、器具を使ってトレーニングをするのではなく、腕立て伏せ150回、懸垂150回、腹筋600回というメニューをこなしていました。お尻の皮がむけるほどだったのですが、終わるまで帰してもらえませんでした(笑)。おかげで、PLに入って橋本と再会をした時「体が変わった」と言われました。

故障しにくい体づくり

ぜひ、野球以外でも体を動かしてほしいと思います。野球は片方の体しか使いません。成長期には、片方の動きだけを集中して行わないほうがよいでしょう。また、ウエイトトレーニングは、直線的な動きしかしないので、あまりおすすめではありません。野球の動きはすべてひねりが入りますから、一つ間違うと故障につながってしまいます。成長期は、柔軟性を高める運動を行ってください。

体のバランスがとれると、故障しにくい体になります。スポーツだけではなく、ジャングルジムにのぼったり、缶けりをしたりすることで、バランスのとれた体が作られていきますので、外で遊ぶことはとても大切です。そして、プロ野球の試合を観て、選手のものまねをしてみてください。その動きが似ていたら、体の使い方が上手いということ。自分がどういう姿で投げている、打っているのかを知った上で、練習をしてほしいと思います。

ご両親はお子さんに対して、結果よりも成果を見てあげるようにしてください。たとえ三振をして戻って来たとしても「さっきのスイングは、前より速くなっているよ。また、素振りをしたらもっとよくなるんじゃない?」というふうに言ってあげると、落ち込まず前向きに取り組めるはずです。

【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)

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