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2013年2月19日 (火)

第10回 元ヤクルト・内藤尚行さん

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愛知・豊川高 → ヤクルト → 千葉ロッテ → 中日

豊川高校から87年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。1年目から1軍に抜擢され、2年目からはリリーフ投手として活躍。89年には12勝8セーブを挙げオールスターゲームに出場。野村克也監督が就任した90年と翌年の91年には開幕投手を務める。93年9月、優勝がかかった中日戦では延長15回無死満塁で3者連続三振を奪い、ヤクルトファンの語り草となった。95年に千葉ロッテ、96年シーズン途中に地元の中日に移籍。現役引退後は、解説者やタレントとして活躍。2013年からは独立リーグ・新潟アルビレックスBCの監督を務める。


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豪快な雄叫びと「ギャオス」のニックネームで、野球を知らなくても内藤は知っていると言わせたほどの存在感を持つ内藤尚行さん。愛知・豊川高校時代、偶然先輩を見に来たスカウトの目に留まり、ヤクルトスワローズにドラフト3位で入団。スワローズ黄金時代の強さと人気の両面を支えた内藤さんの、人を惹きつける力や幼い頃の練習方法、プロ野球選手になるための素質と心の在り方についてお話を伺いました。

衝撃的な野球との出会い

Img_naito2父がソフトボール、4つ上の兄が野球をしていた影響で、小2の頃にキャッチボールを始めました。そのキャッチボールの相手は、父でも兄でもなく近所のおじさんでした。体が大きい兄の投げるボールが少し怖くて、おじさんに相手をしてもらっていたのですが、ある日、おじさんの投げたボールが顔面に直撃。この出来事が、私を野球に目覚めさせたのです。痛くて泣きながら「野球がうまくなりたい」と心から思いました。逆に、ここで野球が嫌になって辞めてしまうこともあると思うのですが、私にとっては、この痛さが衝撃的な野球との出会いだったのです。その日から、12メートルほど離れた壁にボールを投げて捕る「壁当て」の練習を始めました。2年生で始めて6年生までの5年間、朝晩かかさず続けましたが、やらされている感覚はまったく無く、野球がうまくなりたい一心でした。周りは一心不乱に壁当てをやっている少年を見て「大丈夫かな?」と思っていかもしれませんね(笑)。

一人の練習が花開いた日

小学3年生の時、町内のソフトボールチームに入部しようと、監督に会いに行きました。毎日かかさず、自分で工夫をした壁当てをしてきたので、4、5年生と対等にできる自信はあったのですが、チームの決まりで4年生以上でないと入部できなかったのです。でも監督が「1年後には必ず入部できるから、一緒にやろう」と言ってくれたことが嬉しくて、またそこから1年間、一人で壁投げの練習を続けました。ソフトボールチームに入ろうとしていたにも関わらず、念頭にあるのは野球ですから当然軟式ボールを使って上投げをしていたのです。そして、晴れてチームに入る日がやってきたのですが、びっくりですよ。ピッチャーが下から投げているではないですか?!野球もソフトボールも一緒だと思っていたけど、そういえばピッチャーの投げ方が違ったなと、その時になって思い出しました(笑)。それでもピッチャーを希望しましたが、下投げは練習していなかったので、4番センターとして入部当初から試合に出させてもらいました。一人の壁当て練習により、コントロールとグラブさばきが身についていたので、即戦力になれたのだと思います。

練習はユニホームを着た時だけではない

私が育ったのは野球の盛んな地域で、小学校高学年になるとリトルリーグに入る子どもたちもいました。私も入りたかったのですが、両親は反対でした。地域のチームで、近所の子どもたちと自由に野球をさせたいという思いがあったようです。両親に余計な負担や心配をかけたくないと考え地域のチームで続けた結果、「毎日が練習」という習慣が身につきました。ただ、自由ということは自主的に動くということでもあります。昔も今もユニホームを着た時だけが練習だと思っている選手がいますが、人よりうまくなりたければ、みんなと同じだけの練習をしていては足りないでしょう。野球がうまくなれたのは、リトルリーグに入らなかったことで、逆に練習量が増えたからだと思います。

悔しさの向こうにあったプロ野球への道

Img_naito1中学校の野球部に入ると、同級生に自分よりも体が大きくて速い球を投げるピッチャーがいました。チームメイトは私たち二人をライバル同士として見ていましたが、自分自身は、まだ彼には及ばないと思っていました。でも、練習量だけは負けてはいなかったと思います。昔からみんなとの練習は楽しく、つらい練習は一人の時にするものだと決めていたので、野球部の練習が終わった後、毎日ランニングを続けました。中学3年生になり進路を決める時期に、ある強豪高校のセレクションを受けましたが、結果は不合格。「足腰がなっていない」と理由を聞いた時は、本当に悔しい思いでした。毎日欠かさずランニングをしてきた自負もありましたし、どうしてきちんと見てくれてもいないのに、適当な理由で断るのだろうと。それから、野球部の監督の勧めもあり、地元の豊川高校に進むことになったのですが、ここで思いもしないツキが回ってきたのです。本来、それほど有名校ではない野球部に、プロ野球のスカウトが来ることはあまりありませんが、2年先輩に150キロのスピードボールを投げる先輩がプロに注目され、スカウトが学校に来るようになったのです。その時に私を見かけたスカウトの方たちが目をかけてくれるようになり、プロ野球への道が見えてきました。

プロ野球選手になる素質

実際、高校3年生の時に8球団からのアプローチがありました。その中で、私が会ったのは、ヤクルトスワローズだけ。理由は自分なりに考えて、ヤクルトであれば、ピッチャーのローテンションに入って活躍できると考えたからです。入団後、高卒ルーキーながら1軍のキャンプに参加することができました。中学3年生の時に、プロ野球選手になりたいではなく、なれると確信し、その方向へ進むために決してぶれることはありませんでした。当時から、私のことをサポートしてくれる人たちがいましたが、その方たちをがっかりさせない、恥をかかせないために自分をしっかり持っておかなくてはいけないと思っていました。それから、プロ野球選手になる素質として「小生意気(こなまいき)」というのも必要です。私の場合、中学ではまだ試合に出てもいない補欠のうちから監督に呼ばれて怒られたり、高校ではマウンドで雄叫びをあげて高野連から注意されたり、大学の練習に参加した時は「ここには自分のやりたい野球は無い、プロに行く」と宣言したり、思い出してみても、結構、生意気だったなあと思います(笑)。

すべては楽しむことから始まる

ライバルに差をつけ、ここぞという時に活躍できる選手になるためには、プレッシャーをプレッシャーと思わないようにすることが大事だと思います。そのプレッシャーを跳ね除けるためには、練習しかありません。特に一人でする練習が大切です。しかし、それは本当に自分の身になっているのかと、不安との戦いでもあります。どんな一流プレーヤーでも不安を取り除くために毎日練習するのですが、練習を単なる練習だと思わず、楽しむ気持ちが必要です。戦いの中に身を置くと、気持ちの持って行き方がとても重要で、気持ちを置き換える作業、楽しくなるように言い換えると「気持ちの置き換え合戦」ができるといいと思います。そして、下半身強化のために、ランニングを続けてください。ウェイトトーレーニングもありますが、まずは、走り込みです。走らされていると思うと、つまらない練習に思えてしまうでしょう。必ず自分のためになると信じて、強くなる自分を想像して、楽しみながら走ってほしいと思います。以前、イチロー選手にも話したのですが、同じ時間を費やすのなら楽しんだほうがよい結果につながり、自分のためになります。夢を叶えるために、苦しいトレーニングや単調な反復練習をできるだけ楽しんで、そして続けてみてください。そうするとプレッシャーそのものが楽しくなるはずです。

【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)

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