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2013年1月16日 (水)

第7回 元日本ハム・今関勝さん

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武相高(中退) → 大楠高 → WIEN BASEBALL CLUB → NTT東京 →
日本ハム → アメリカ独立リーグ

横須賀エラーズでは、市大会で優勝。武相中に入学し、野球部の選抜にも合格。しかし武相高時代には部員によるいじめにあい、1年で中退し大楠高校へ転校。70回大会2回戦では、2年生エースとして優勝候補の横浜高と対戦し、主砲の鈴木尚典(元横浜)に本塁打を浴びる。高校3年時は年齢制限のためクラブチームでプレーし、その後NTT東京に入社。93年、ドラフト3位で日本ハムに入団。96年に11勝を挙げ、オールスター戦にも出場。00年、アメリカ独立リーグに入団し、03年まで活躍。08年、東北楽天ゴールデンイーグルス・ベースボールスクールのジュニアヘッドコーチを歴任。13年からは、野球指導、講演、野球評論家として活躍中。

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高校時代に「いじめ」という大きな壁にぶつかっても、プロ野球選手になることを決意し、強い信念で夢を実現させた今関さん。日本とアメリカのプロ野球を経験し、東北楽天イーグルスのジュニアコーチとして子どもたちを指導して感じたことは、「やさしさを持った選手は、野球が上達する」ということでした。身体づくりとともに、心の持ち方が野球をレベルアップさせ、夢の実現へつながることをご自分の経験とともにお話してくださいました。

様々なポジションを経験し、自らつかんだエースの座

Img_imazeki2小学1年生から野球を始め、4年生から4番・キャッチャーとして試合に出るようになりました。中学時代は主にショートだったのですが、セカンド以外のポジションはすべて守りました。ピッチャーになったのは、中学3年生の4月。どうしてもピッチャーがやりたくて、監督に「小学生からずっとピッチャーをやってきたので、僕にやらせてください」と直談判しました。実は「ずっとピッチャーをやってきた」というのは、少し大げさなのですが(笑)。それほどピッチャーをやりたいという気持ちが強かったのです。私自身の経験から、小・中学生の頃にいろいろなポジションを守ることは、非常に良いことだと思います。それは、自分の可能性を広げるとともに、同じチームの仲間の気持ちが分かるようになるからです。

他のスポーツをすることが野球に役立つ

私が最初に始めたスポーツは、柔道でした。父親のすすめで幼稚園から小学校入学までは柔道を、小学1年生から3年生までは野球と柔道を掛け持ち、4年生の時に野球でレギュラーになり、ここから野球一本になりました。ポジションに関してお話したのと同様、野球以外のスポーツを経験することも、運動神経を鍛えるためにとても良いことです。運動神経とは、脳と筋肉の神経回路を作ることです。例えば、野球と柔道では、筋肉や体のぶつかる場所が違います。柔道で身に付けた受け身が、野球をする上で、ダイビングキャッチをして着地する時に役に立ったりします。ですから、バランスのよい心身を育むためにも、多種のポジションと多種のスポーツを経験することをお勧めしています。

子ども時代に重要なトレーニング

子どもの頃に行うトレーニングで有効なものは、外遊びです。子どもだけでする外遊びは、自分たちだけで何が起きるか想像し、ルールを決めていきます。今考えると、イメージトレーニングをしていたのと同じで、想像力が養われていたのです。野球は「間」のあるスポーツ。その間に、次に起こることをイメージし、相手の動きに対して自分はどのように動けばよいのか準備しておくことができます。そのシミュレーションを的確なものにするには、想像力が必要です。想像力を養うには、テレビゲームよりも盤ゲーム、アニメーションよりも漫画、漫画よりも小説がいいでしょう。私の子どもの頃には、テレビゲームがさほど普及していなかったので、想像力が養えたのだと思っています。

よい身体を作る秘訣

Img_imazeki3食事は、調理師だった父が毎日、栄養のバランスを考えた料理を作ってくれました。愛情のこもった料理はとてもおいしく、たくさん食べることができました。小学校高学年になると、毎食、ご飯をどんぶりで3杯食べていたほどです。それと、牛乳を食事の時も喉が渇いた時にも水代わりに飲んでいたので、1日に2リットルは飲んでいました。そのおかげか小学校を卒業する時は、身長は170センチになっていました。野球をしている子どもたちを見ていると、レギュラー争いを勝ち抜いていくのは、よく食べる選手たちです。食べることに加えて、睡眠も大切です。私の小学生時代の消灯は21時。父が市場に行くこともあり、6時に起床して、家族全員で朝食を食べるのが日課でした。よく寝て、よく食べて、よく動く。これが身体を大きく強くするために何よりも重要なことなのです。

何ものにも変えられない両親の愛情

高校時代、私の野球人生において大きな出来事がありました。同級生からいじめを受け、高校を中退したのです。野球の道具がドブに捨てられ、学校では完全に無視をされました。半分ノイローゼになり、学校に行かなくなりました。でも両親はそんな私に、無理に学校へ行けとも言わず、無理に話を聞き出そうともしませんでした。また、私の気持ちを汲み、自分たち両親よりも第三者のほうが話しやすいのではないかと、叔父と話をさせてくれました。このようにあえて距離を置くことも、私への愛情だったのです。高校を辞めた時、プロ野球選手になると宣言しました。周りの人たちは皆、話半分に聞いていましたが、両親だけは応援してくれました。だから、いじめから立ち直り、新しい道へ進むことができたのです。「現実を見ろ」という言葉は一切言わず、「お前ならできる」と言ってくれた父に感謝しています。

一生感動、一生勉強

どのような状況でも野球を辞めずに続けてきましたが、野球をやってよかったと思うことは、忍耐力がつき、礼儀作法が身についたことです。そして、何より勉強をする習慣がつきました。机に向かってするものだけが勉強ではありません。力の無かった私は、相手打者を研究し、自分がどう投げれば打者が嫌がるかを考えました。私の座右の銘は「一生感動、一生勉強」。大好きな相田みつをさんの詩「一生感動、一生青春」を拝借したのですが、自分が感動をしなければ、相手を感動させることはできません。また、人間は勉強しなければ、成長が止まります。私にとって一生勉強を続けること、それが野球を続けることでもあるのです。こうして勉強をする習慣がついたことが、野球をやってきて得た最大の財産です。

夢を明確することがプロ野球選手への道

プロ野球選手になるという宣言をしてからは「なりたい」「なれたらいい」とは言わず、本気で「なる」と考えていました。そうすると、目標が明確になり練習の質が上がり、レベルアップしていくことができました。野球教室では、子どもたちに技術だけを教えるのではなく、夢を実現するためにはどうすればよいかという話をします。夢を明確にすると、自分がやるべきことが分かり目標が細分化されます。漠然とした目標に向かっていくことは、途中で迷いが生じてしまいます。しかし、細分化された目標を1つ1つ達成していくことで、夢への階段を上っていくことになるのです。それが、プロ野球選手になる近道だと思います。

【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)

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