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2012年2月 2日 (木)

第2回 元西武・鈴木健さん

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浦和学院高 → 西武 → ヤクルト → 東京ヤクルト

越谷リトルシニアから浦和学院高校に進学し、86年の夏の甲子園ではベスト4、翌87年は2回戦進出。当時の日本最多記録の高校通算本塁打83本を樹立し、ドラフト1位で西武ライオンズに入団。93年から主に指名打者として起用されると97年は巨人に移籍した清原和博選手の後を継いで四番打者に抜擢され、自己最高の成績でチームのリーグ優勝に貢献。98年はプロ入り初の135試合フル出場を果たしリーグ連覇に貢献。高木大成、松井稼頭央選手らと共に、東尾修監督率いる新生ライオンズの主力として活躍した。02年にトレードでヤクルトに移籍。03年、自己最高の成績を更新し、ベストナインおよびカムバック賞受賞。07年現役引退。
人柄が良く、チーム内でも「健さん」の愛称で若手選手から慕われた。

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埼玉・浦和学院高校の2年と3年時に夏の甲子園連続出場し、2年生の時からチームの中心選手として初出場の浦和学院をベスト4に導き、甲子園に旋風を巻き起こした鈴木健さん。当時の最多記録・高校通算本塁打83本を放ち、ドラフト1位で西武ライオンズに入団し、当初は黄金時代の西武で出場機会に恵まれなかったものの、のちに4番・サードのレギュラーを勝ち取り、幾度とチームの優勝に貢献しました。そんな野球人生を送った鈴木健さんに、数ある強豪校の中から当時、無名校だった浦和学院を選んだ理由、高校通算本塁打記録が生まれた経緯などを語っていただきました。

地元のチームでのびのびと野球をしていた小学生時代

Img_suzukiken1_2 僕が野球を始めたきっかけは、野球が大好きだった父親の影響です。記憶にはないのですが写真を見ると、プラスチックのカラーバットを持った3、4歳の頃の姿がたくさん写っています。その頃から、父に野球を教わっていたのだと思います。チームに所属したのは小学校に入ってからで、子供会の延長のような町内会のチームでした。僕は小学生の頃は、ピッチャーをやっていましたが、毎日、グランドを使える時間が限られていたので、つらいトレーニングをする時間はほとんど無く、楽しいピッチングやバッティング、守備の練習ばかりしていました。

時には父と母が練習に付き合ってくれることもあり、バッティングピッチャーをやってくれたりしました。のびのびと野球ができ、家族や周りの人の協力があったからこそ、野球を続けていくことができたと思います。

浦和学院に進んだ理由は、一緒に野球をやりたい仲間がいたから

甲子園を目指そうと思ったのは、高校に入ってからです。当時、浦和学院は高校自体が出来て10年ほどの新設校で、野球部も僕が1年生の時は、1回戦で敗退するような無名のチームでした。でも、なぜ僕が浦和学院に行くことになったかと言うと、それには理由があるんです。中学生の時、甲子園に出場したことがある強い学校も含め、多くの強豪校からオファーを受けました。

でも、中学時代に活躍していた他のチームの選手や同じチームの選手の多くが、「浦和学院に行く」と言っていたんです。そんな彼らと同じチームで野球がしたいと思い、浦和学院への入学を決めました。そして、同じチームで野球をするうちに、この選手達と一緒だったら甲子園に行けるかもしれないと思うようになったんです。

試行錯誤を繰り返したことが、高校通算本塁打83本の記録につながった

Img_suzukiken3_2 僕は左打ちですが、高校に入って最初の頃は、引っ張ってライトへホームランを打つことはできても、流してレフト方向へ打つことができませんでした。そうなると、外角ばかり攻められるようになったんです。そこで、外角のボールをレフト方向へ打てるようにならなくてはいけないと考え、どうすればレフト方向へ強い打球を打つことができるのか、自分で勉強して、いろいろなことを試しました。当時、バッティング練習をしている時は、そのことばかり考えていましたね。

そして、試行錯誤の末に気づいたのは、左手の使い方でした。ライト方向へ打つには、右手だけで引っ張ることができるのですが、レフト方向へ打とうすると、左手で押すことが必要だと気づきました。それからは左手で押す打ち方を、ひたすら練習しました。それができるようになった頃、どんどんレフト方向に強い打球が打てるようになり、ホームランの数も増えていったんです。

ですから僕の経験から言えることは、教わることを待っているだけではなく、自分で考えて気づくことが大事だと言うことです。例えば、コーチから教わったことを、皆が同じようにやっていたとしても、全員が同じだけできるようにはならないですよね。選手それぞれのやり方や素質がありますから、教わったことをベースにして、自分なりにいろいろなことを試しながら、やり方をみつけていく必要があります。そうして習得したことは、絶対に忘れませんから。

大事なのは勇気を出すこと

僕は人生において、1番大切なのは「勇気を出すこと」だと思っています。そして、それには、強い思いや意志が必要だと思うんです。例えば、先ほど浦和学院を選んだ理由をお話しましたが、僕は自分自身が求める環境で「絶対にレギュラーになる」という強い思いがあったので、自分を信じて進むことができました。でも、ここで浦和学院に行きたい気持ちがあるのに、「甲子園に行けないかもしれない」とか「レギュラーになれないかもしれない」と心配ばかりして別の道を選んでいたら、後悔していたかもしれません。逆に自分の意志を持って進んだ道で、思い通りにならなくても納得ができると思うんです。

そしてもう1つ、僕は甲子園に行くことだけが全てではないとも思っています。たとえチーム自体が弱くても、その中で自分が活躍して注目されれば、スカウトの目に留まることもありますからね。ですから、迷ったり弱気になる場面があったとしても、自分に合った方法をみつけ、自分を信じて勇気を出して進んでほしいと思います。

【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)

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