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2012年2月25日 (土)

第5回 元ヤクルト・川崎憲次郎さん

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津久見高(大分) → ヤクルト → 中日

88年、津久見高校3年の時に甲子園に春夏連続出場を果たし、いずれもベスト8に進出。同年、ドラフト1位でヤクルトスワローズ入団。ヤクルトのエースナンバーの17番を背負い、1年目の89年に4勝を挙げる。翌90年にはシーズン12勝を挙げローテーションに定着。93年の日本シリーズでは、常勝軍団の西武を相手に2勝を挙げ、シリーズMVPを獲得。ヤクルト15年振りの優勝に貢献し、野村監督初の日本一にもなった。故障により一時戦列を離れたが、伝家の宝刀「シュート」を武器に復活し、巨人キラーとしてヤクルト黄金時代のエースとして活躍。98年には最多勝(17勝)・沢村賞のタイトルを獲得。00年、FA宣言し中日に移籍し04年引退。現在は、野球解説者として活躍中。

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津久見高校では春夏連続甲子園ベスト8に進出し、ドラフト1位でヤクルトスワローズ入りした川崎さん。ヤクルト時代は2年目から先発ローテーションに定着し、ヤクルトの黄金時代を支えました。故障に悩まされた時期もありましたが「オバケシュート」で復活し、沢村賞、最多勝を獲得。強い精神力で逆境を乗り越えてきた川崎さんに、プロ野球選手に必要な資質とは何か、ご自身の経験をもとに語っていただきました。

両親に見守られ、野球漬けの日々を過ごした少年時代

Img_kawasaki400300_1_2僕は田舎育ちなので、子供の頃の遊びと言えば野球しかありませんでした。東京と違って、まわりに野球の出来る場所がたくさんありました。稲刈りの終わった田圃とか校庭とか、野球の出来る場所には不自由しなかったんです(笑)。学校から帰ってきたらランドセルを放り投げて野球、学校の休み時間も野球、一日中野球ばっかりやっていました。家族もみんな野球が好きで、家ではよく一緒にプロ野球中継を見たりしていましたから、その影響も大きかったんだと思います。

小学校2年生の時、学校の少年野球団に入りました。4年生の時には「肩が強いからお前ピッチャー行ってこい」と、練習もしないでいきなり試合で投げさせられて、ルールも何にもわからなくてランナーがいるのにワインドアップで投げたりしましたね(笑)。初めてマウンドに上がった時、ドキドキしたのは覚えています。でも投げるのが本当に好きだったから、それ以来ピッチャー一筋です。

両親が野球好きだったというのもありますが、野球に関してやりたいという事は何でもやらせてくれました。風邪をひいて学校を休んでいても、野球に行きたいと言えば行かせてくれました。とにかく投げるのが好きで、家でもグランドでも、いつもたくさん投げていましたし、父がよくキャッチボールの相手をしてくれました。その当時、両親からのアドバイスで、毎日夕食のあと、どのぐらいの距離だったか覚えていませんが、田舎で真っ暗な道を母がバイクで一緒に伴走してくれて、家の周囲を何周も走りました。もちろん、決して楽しくはなかったですが、人よりもたくさん練習して上手になりたいと思って練習しました。

そのおかげで小学生の頃から腰がしっかり太くなりました。それだけの練習に耐えられるような体力をつけることが出来たのは、母親が食事にも気を使ってくれたからだと思います。僕の地元は美味しい魚がとれるので、魚主体の食事でした。おやつも甘いお菓子とかではなく、骨せんべいだったり(笑)。小さい頃からしっかりと体力をつけることが出来たのが僕の土台になっていると思います。両親とも、口には出して言わなかったですが、僕の夢がプロ野球選手だって知っていたと思いますし、プロに進んでほしいと心のどこかで思って応援してくれていたのかもしれません。

投球リズムは自分で考えて見つけた

小学生以来、僕は一度もピッチングスタイルを変えていないんです。叔父が、最初に「ヒールアップして投げてごらん」と教えてくれて、それ以来一度も変えていないんです。その頃は、きちんとピッチングを教えてくれるようなコーチが少年野球チームにはいなかったので、一番投げやすい方法を自分で研究しました。プロ野球の試合を見ながら、投球のリズム作りをしました。自分のリズムに合う選手、当時の江川さんとか、郭源治さんの投球フォームがお手本でした。

プロに入っても色々なコーチに教わりましたが、自分のスタイルがはっきりしていたので、聞くべきアドバイスと聞く必要のないアドバイスを自分でフィルターにかけて選択しました。何でもコーチの言うことを聞いていると、次第に自分の投げ方がわからなくなり、うまく行かなくなるんです。だから、とりあえず、「はい、はい」って聞いたふりをして全然聞かなかったんですよ(笑)。自分に何が必要なのかを考えて練習すること、それが出来なければプロでは成功できないと思います。

夢の実現は目標作りから

Img_kawasaki400300_2自分の住んでいた佐伯(さいき)市は人口5万人ぐらいの街で、その中で野球が上手でも、大分県ではもっと上手な選手がいます。九州や全国レベルになったらもっとたくさんいます。だからいつでも「自分より上がいる、その選手たちに負けたくない」という気持ちでがんばってきました。

小学生の頃からプロに行きたいという夢が、はっきりしていましたので、そのための道筋をしっかり考え、目標を設定しました。最初の目標は甲子園出場。当時僕の住んでいた大分県では、津久見高校が甲子園に出場できる可能性が一番高かったんです。だから迷わず津久見高校に入学しましたし、目標がはっきりしていたので一生懸命練習しました。夏の炎天下に監督から「45分間で300球投げろ」なんて言われ、今思えばめちゃくちゃな練習もこなしました。

そして、甲子園春夏出場や甲子園ベスト8進出と、着実に夢への階段を上っていきました。その結果、スカウトの目にとまりプロ入りが叶ったわけですが、それはすべて「夢」の実現に向けてしっかりとした目標を立てたからなのです。そして、常に自分よりも上手な選手がたくさんいる、その選手たちに負けてしまったらプロにはなれない、絶対に他の選手に負けたくない、という強い気持ちがあったからです。皆さんも、自分が「夢」を実現するためにはどうしたら良いのか道筋を考え、目標をしっかり持てば夢は叶うはずです。

今出来る事を一生懸命やる

プロ野球選手になりたいと思ったら、とにかく野球を好きになってください。野球に没頭してください。そしてその時々で、できることを一生懸命やってください。僕は中日に移籍した時、ケガで4年間投げられませんでした。そんな時でも、ランニングやウエイトトレーニングなど、その時できることを一生懸命やりました。投げたければいっぱい投げる、バットを振りたければ振る、それを一生懸命やることです。保護者の皆さんには、できるだけ野球に没頭できる環境を整えてあげて欲しいと思います。

僕は田舎育ちで、野球が唯一、夢中になれるものでしたし、家の周りにいくらでも野球をして遊べる場所があったので、野球に夢中になれる環境に恵まれていたんです。今の子供たちは、そのような環境を意識して作らないと、なかなか野球漬けにはなれません。意識して野球漬けになれる環境を作ること、そして今できることを一生懸命やり続けることが夢への一歩につながると思います。

【取材・文】齊藤麻由美
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)

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