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2012年2月18日 (土)

第4回 元巨人・屋鋪要さん

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三田学園(兵庫) → 大洋 → 横浜 → 巨人 → 巨人コーチ

78年、三田学園高校からドラフト6位で横浜大洋ホエールズに入団。類稀な俊足選手で、高木豊選手・加藤博一選手と「スーパーカートリオ」として活躍。94年、読売ジャイアンツに移籍。長嶋監督初の日本一に貢献。西武との日本シリーズ第2戦の守備では、低い当たりのセンターライナーをダイビングキャッチしゲームセット。そのシーンは多くの巨人ファンを感動させた。95年、現役引退。98年から通算4シーズンにわたり、読売ジャイアンツ外野守備走塁コーチを歴任。現在は、全国で年間50ヶ所以上の野球教室で指導するとともに横浜・栃木・新潟では少年野球大会の「屋鋪杯」を開催。豊富な指導経験に定評があり、現在も野球教室開催団体から多数のオファーがある。(社)少年軟式野球国際交流協会理事。

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高木豊さん、加藤博一さんとともに「スーパーカートリオ」として活躍された屋鋪要さん。甲子園出場はなかったものの、高校の試合で偶然、同チームの他の選手を見に来ていたスカウトの前で140メートル級の特大ホームランを打ったことで注目され、77年ドラフト6位で大洋に入団。移籍先の巨人では、念願の自身初リーグ優勝を経験し、後に巨人守備走塁コーチを2度務めた。選手・指導者ともに経験豊富な屋鋪要さんに、野球少年だった頃の生活や練習、家族のこと、野球に対する思いと夢を実現するための方法を語っていただきました。


とにかく野球をして遊んでいた少年時代

Img_yashiki400300 僕たちの子供の頃は、他にスポーツがあまりありませんでしたし、野球が出来る草っぱらが、あちこちにありましたから、ちょっと元気のいい子供たちが集まると、必ず野球をして遊びました。たまに相撲も取ったりしましたけど(笑)。だから、野球は自然にやっていた感じですね。それに父親が社会人野球の監督をしていましたので、小さい頃は父親のチームの練習や試合によく連れて行ってくれました。自然に自分の周りに野球があり、家族もみんな野球が好きだった、そんな環境で育ちました。

小学校4年生のとき、地元の小学校の野球チームに入り、その時から高校1年まで、ずっとキャッチャーでした。プロに入ってからのイメージとは全然違うでしょ?父親がキャッチャーだったので、キャッチャーをやらされたんですね。それほど父親の影響が大きかったんです。父や母、それに祖父も試合に必ず来てくれましたが、チームの監督やコーチを信頼し、いっさい口出しをしなかったのを今でも覚えています。

夢はプロ野球選手!そのために学校も練習も自分で選んだ

小学校6年生の卒業作文に、夢は「阪神タイガーズに入団する」と書いたんですが、結果的に最初に入ったのが当時の横浜大洋ホエールズで、夢は叶わなかったんですけどね(笑)。とにかくプロ野球選手になりたかった、甲子園に出たかったんです。だから、その当時プロ野球選手をたくさん輩出していた地元の三田学園に入れば、甲子園に行ける!と思い目標を決めました。それまでは全然勉強しなくて、成績もひどかったんですが、三田学園中学に行くんだと決めてからの追い込みはすごかったですよ。母親が家庭教師をつけて応援してくれて、小6の夏頃からは必死に勉強して無事入学することができました。

中学と高校では、自分に必要な練習は何か、自分の技術を伸ばすためには何が必要なのか、自分の頭で考えて練習しました。いろいろなコーチがいて、いろいろな指導を受けましたが、それをすべて聞いていたら、何が正しいのかわからなくなるので、自分にあった練習や指導方法を選択する能力が必要なんですね。それはプロに入っても同じで、プロのコーチも自分の意見を押し付けますが、すべてそれを聞いていたら自分のスタイルがめちゃくちゃになってしまいます。自分で考えて選べる頭の良さ、それは野球をやる上で必要な資質なんです。

偶然のきっかけがプロへの道を開いた

Img_yashiki400300_2_2結局僕がいた3年間、三田学園高校は甲子園に出られなかったんです。だから、高3の秋の段階で、早稲田大学のセレクションに合格していたので、大学で野球をするつもりでした。ところが、夏の大会前の試合で140メートル級の特大ホームランを打った試合に、プロのスカウトが大勢見にきていたことがきっかけで注目され始め、この出来事が僕の野球人生のターニングポイントでした。プロに行けるかもしれない、というかすかな望みが出てきて、夏の大会で敗退してから必死になって練習しました。それまでは、手を抜いて練習していたこともありましたが、高校3年の夏からと、プロに入ってから、僕ほど練習した選手はいないと思います。そのぐらい一生懸命練習しました。その自信が僕をずっと支えてくれたと思います。

野球というスポーツは、チームプレーの側面もありますが、結局は個人の能力の勝負です。マウンドに上がれるのも1人、バッターボックスに立てるのも1人、打球を捕るのも1人なので、とにかく周りの選手よりも上手くなろう、一番になろうという強い気持ちを持ち続け、プロの世界に入っても、そこそこの活躍をすることが出来たのだと思います。強い気持ちこそが、プロへの道を開いたのかもしれません。自分で決めた目標とそれに向けての努力、そしてそれを支える強い意志があれば、みなさんの夢もきっと叶います。

実戦形式の練習が力につながる

守備にしても、走塁にしても、とにかく大切なのは、実戦に近い状況で練習することです。特に走塁で大切なのはボールから目を離さずに集中すること、盗塁で大切なのはピッチャーの投球モーションと走り出しのタイミングをつかむ勘だと思います。この集中力と勘は、実戦練習を積まなければ身に付きません。だから練習の時でも、きちんとピッチャーに投げさせてバッティング練習をし、その時にランナーを置いて走塁練習をするとか、実戦形式の練習をするとかなどが重要ですね。守備の練習も同じで、ノックの打球と実際の打球では球の回転もスピードも全然違いますので、実際の打球を捕る練習が大切です。それに、野球は持久力ではなく、瞬発力が重要なスポーツです。瞬発力を高めるトレーニングを取り入れる事も重要です。

子供の頃の食事と遊びで、プロ野球選手への夢が近づく

野球を長く続けていこうとしたら、子供の頃からしっかりした身体を作ることが一番重要だと思います。今のお子さんはやわらかいもの、口当たりの良いもの、レトルト食品など食べやすいものを食べている傾向が強いですが、固いものをしっかり噛んで食事を摂らないと、あごが発達せず強い身体になりません。僕はなんでも好き嫌い無く食べました。ジャコとか、骨せんべいとか、固いものもたくさん食べましたよ。それに、野球も含めて常に外で身体を動かして遊ぶことで、ものすごく体力がつき、力もつきました。この身体作りがしっかりできないと、たくさん練習できません。正しい練習は、すればするほど身についていくものだし、人よりうまくなろうと思ったら、人よりたくさん練習しなければなりません。少年時代に、この基礎体力作りがしっかりできていれば、プロ野球選手になるチャンスが近づきます。保護者の方々へのお願いは、いろいろな食品を好き嫌いなく、バランスよく摂れるような食事を食べさせてあげて欲しいと思います。

【取材・文】齊藤 麻由美
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)

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