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2012年2月11日 (土)

第3回 元巨人・前田幸長さん

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福岡第一高(福岡) → ロッテ → 千葉ロッテ → 中日 → 巨人 →
テキサス・レンジャース3Aオクラハマ

福岡第一高のエースとして、88年に春夏連続甲子園出場し、夏の甲子園では準優勝。同年、ドラフト1位でロッテに入団。プロ1年目から一軍で登板し、先発投手として活躍。西武の主砲・清原和博選手と幾度となく名勝負を演じた。95年オフに中日ドラゴンズに移籍し、中継ぎを中心に99年のリーグ優勝に貢献。その後、01年オフにFA宣言し、読売ジャイアンツに移籍。主にセットアッパーとして安定した力を発揮し、02年の日本シリーズ制覇に貢献。08年巨人に退団を申入れ、米メジャーリーグ挑戦。テキサス・レンジャーズとマイナー契約を交わし、3Aオクラホマで活躍し、同年現役引退。現在はタレントや野球解説者として活躍中。

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福岡第一高校3年生の時に春夏連続で甲子園に出場し、夏の大会では準優勝投手となった前田幸長さん。ドラフト1位でロッテに入団後、19年間のプロ野球生活では、ロッテに7年、中日に6年、巨人に6年と、闘いの場を変えて行きました。ロッテでは、高卒ルーキーながら先発ローテションに入り活躍。中日では、中継ぎ投手を務める傍ら先発投手もこなし、そのタフな左腕に期待が寄せられました。そして、最後の巨人では、セットーアッパーとして実力を発揮し、日本一に貢献。明るいその人柄で、どのチームにも馴染み、存在感も抜群でした。でも、それは内に秘めた変わらない思いを持ち、努力をし続けてきたから。そんな変わりながらも変わらずにいられる前田さんに、野球人生を変えた出会い、両親への感謝、いつも守り続けてきたことなど貴重なお話を語っていただきました。


両親の大きな協力があった小学生時代

Img_maeda2父親とキャッチボールを始めたのが野球をやるきっかけでしたね。その後、小学3年生の時に地元のチームに入り、放課後に小学校のグランドで練習をしていました。練習メニューと言えば、僕は、ピッチャーだったのでピッチングはしていましたが、シートノック中心の守備がとても多くて、バッティングはあまり練習した記憶がありません。冬になるとやっぱり走り込みで、年末年始以外は休みがなく、毎日練習をしていましたね。

両親は、毎週、どんなに遠くても試合を観に来てくれていましたが、当時はそれが当たり前だと思っていました。でも自分が親になってみて、それがどんなに有難いことだったのか、身にしみてよく分かったんです。車で遠くの球場まで送り迎えもしなくてはいけないし、親って大変ですよね(笑)。それから、僕は小さい頃から食が細いほうだったので、母からは毎日「たくさん、食べてね」と言われていました。そして、きちんと栄養がとれるようなバランスのよい食事を作ってくれて、僕の健康管理についていつも考えてくれていましたね。僕もそんな母の言葉を聞いていたので、頑張ってたくさん食べようとしたのですが、母の思っている量までは食べることができませんでした。

小学生の頃から持ち始めた甲子園への思い

小学生の頃、水野さん(池田高校)や荒木さん(早稲田実業)が甲子園で活躍するのをテレビで観ていて、とても憧れていました。でもその時はまだ、甲子園を目指そうというより行きたいな、という憧れのようなものでした。僕は福岡第一高校の出身ですが、正直最初は福岡第一についてはよく知りませんでした。中学3年の夏、福岡第一が県大会で準優勝して、福岡の中で強い高校なんだと意識するようになりました。そして、もしかしたらこの学校なら甲子園に行けるのではないかという思いで、福岡第一を選んだんです。やはり高校を選ぶ段階で、甲子園を目指せる学校ということは念頭にありましたね。

僕の野球人生を変えた臨時コーチ

高校時代、創価高校の元監督でプロ野球選手を何人も育てた方が、臨時コーチとして福岡第一に来てくださいました。そのコーチの言うことを聞いていれば、僕もプロ野球選手になれるかもしれないと思い、それからというもの、コーチの言うことは何があっても聞き入れひたすら練習をしました。コーチがある時「今からシャドウピッチング1,000回!」と言ったのです。実際にボールを投げない練習をいきなり1,000回もしなくてはいけないなんて、正直気が遠くなりそうでしたが、そのコーチの言うことなら、なんの疑問や抵抗も持たずに「はい!分かりました」と言ってやりましたね。しかも、1,000回をただこなすというわけではなく、1回1回集中して練習し、これを続けたら絶対自分はよいピッチングができるようになると思いながらやっていました。

僕はそのコーチのおかげで、数だけをこなす練習から集中する練習を身につけることができ、同期のピッチャーの中から一気に飛び出してエースになり、最終的にプロ野球選手になることができたと思います。「この人の言うことをきいていれば」と思える指導者に出会ったことで自分の中でスイッチが入り、野球人生のターニングポイントとなりました。そういう出来事が選手としてすごく成長させてくれるのではないかと思うので、野球少年のみんなにも是非そういう瞬間が訪れることを願っています。

筋トレは身長の伸びが止まった頃から

Img_maeda3筋トレについては、身長の伸びが止まった頃からぼちぼち始めるのがいいと思います。僕自身もそうでした。器具を使ったウエイトトレーニングをあまり小さい時からやることを勧めないのは、やはりケガの心配があるからです。特に今の子どもたちは体が硬い選手が多いので、小さい頃から肉離れをしてしまうことがあります。

本来、小学生や中学生で肉離れをするということはあまりないのですが、最近は増えてきているようです。ですから、トレーニングもケガをしないようにしてほしいと思います。無理に器具を使わずに筋肉が柔らく関節がスムーズに動くようなしなやかな体を目指して、ストレッチを多く取り入れていくことがよいのではないかと思います。ちなみに僕はストレッチが大好きですよ。

野球をやっていたから、いつも人生の目標があった

野球をやってきてよかったと思うことは、いつも目標を持って生きて来られたということです。小学3年生から野球を始めて、その時その時に応じた目標があったわけです。そして甲子園に出る、プロ野球選手になるという目標を達成してからは、家族もいましたので、野球でできる限り高い年俸をもらって、よい暮らしをしたいと思っていました。それが野球でよい成績を残すために闘い続ける原動力にもなっていたように感じます。年俸は僕らにとって、どれだけ評価されたのかという証でもありますし、より多くの年俸をもらえる選手になりたいという高い志を持っているのはよいことだと思います。

常にプレッシャーの中に自分を置いて

僕が野球選手としてずっと続けてきたことは、常に自分にプレッシャーをかけるということです。体のどこかが痛いと言って休んでしまったら、僕の代わりに誰かが投げる。今日打たれてしまったら、2軍に落ちる。そんなふうにいつも緊張感を持ってやっていたので、自分に打ち勝つことができたと思っています。プレッシャーというのはなんだか辛く重く感じるかもしれませんが、言い換えれば意識を持つということです。先程お話したように、高校の同期の中に9人のピッチャーがいてもエースの座を勝ち取ることができたのは、常に意識を持って練習をしていたからだと思います。単に数だけをこなしているのでは、ライバルに勝つことはできません。自分の代わりは誰にもさせない、そんな意識を持って野球に取り組んでほしいですね。

【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)

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