トップページ | 第2回 元西武・鈴木健さん »

2012年1月26日 (木)

第1回 元日本ハム・岩本勉さん

Img_iwamoto180240_2
阪南大高 → 日本ハム → 北海道日本ハム

小学生の頃、八尾北リトルリーグで全国制覇を達成。藤井寺シニアリーグ、阪南大高へと進み、90年ドラフト2位で日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)に入団。95年の初勝利以降、96年、98年、99年と2ケタ勝利を挙げ、特に98年、99年は2年連続開幕投手で完封勝利というパリーグ記録を持っている。(稲尾和久氏に並ぶ)さらに05年、交流戦のジャイアンツ戦では、75年よりパリーグが指名打者制になって以降、初の日本人投手として本塁打を達成。ヒーローインタビューでの「まいどっ!」の挨拶でファンを沸かせ、その明るい性格から広くファンに愛された。05年の引退後は、野球解説者として活躍中。

_____________________________________________


愛称「ガンちゃん」で多くのファンから愛された日本ハムファイターズの元エース・岩本勉さん。甲子園に出場はしなかったものの、隠れた逸材としてスカウトの目に留まり、ドラフト2位でファイターズに入団。幾度と開幕投手を務め、実力と人気を兼ね備えたエースとして活躍しました。「まいど!」岩本さんのその言葉をスタートに、野球少年だった頃の生活や練習、家族のこと、野球に対する思いと夢を実現するための方法を語っていただきました。


家族全員が野球中心の生活だった「野球家族」の中で育った小・中学生時代

Img_iwamoto400300_1_4家族みんなが野球中心の生活でしたね。まさに「野球家族」。朝ごはんから、母や父が栄養のあるものを考えてくれて、体作りのための食事が食卓に並んでいました。当時はパソコンなんて無い時代ですから、新聞やテレビでいろんなことを調べて取り入れる、そんなふうにやってくれていました。兄弟は姉と弟がいて、3人兄弟の真ん中で両親は共働きだったので、母がお弁当を作れない時は、姉が代わりに作ってくれたりもしました。

それから野球を本格的に始めたのは小学2年生でしたが、5、6歳から1つ年下の弟と一緒に、おもちゃの野球ボールで遊んでいました。あと、僕は家族全員で野球中継を観ていましたが、家族で観ることはすごく重要だと思うんです。家族で一緒に応援する選手をみつけてもいいですし、「わー、あの球早いな!」などいろいろなことを話しながら観て、家族でコミュニケーションを取ることはとてもいいことだと思います。

小学生の頃は、とにかく走って走って、それがトレーニングだった

朝、学校に行く前に10キロのランニングをしてから、登校していたって言ったらどうです??(笑)。本当にこれを小学校高学年の頃、毎朝やっていたんです。これをやらなければプロ野球選手になれない、と信じ込んでいたんです(笑)。でも、走ったおかげで当時、チームの中で、スバ抜けてお尻が大きかったです。やっぱり、チームメイトといい意味で競争する、1番になりたいという負けん気も、頑張る力になっていたのだと思います。

トレーニングは、器具を使う方法はやりませんでした。器具を使うウエイトトレーニングは、体が出来上がる高校生くらいからやるべきだと、今も思っています。ですから、腕立てふせ、腹筋、背筋、スクワットなど、自分の体を負荷としてトレーニングばかりやっていました。自分の体の重さやバランスをきちんと知ることが必要ですし、単純なことを反復して行うことで、精神力が身に付きます。その精神力で僕は、プロ野球選手になれたのではないかな、と思ったりもします。

少年時代に大きな愛と影響を受けて、エースとしての自覚が芽生える

Img_iwamoto400300_2_3僕は当時の監督と両親から、とても影響を受けました。今でも1番印象に残っていることがあります。小学6年生の時、関西大会での出来事で、僕が完投してチームが勝ったんですが、試合後に整列している僕のところに監督が向かって来るので「何かな?」と思ったら、いきなり「バチーン」と平手打ちです。僕はびっくりして「完投したのに何で?!」と思って、何がなんだか分かりませんでした。でも、監督はこう言いました。「それでもエースか!!フラフラするな!!」。

その試合、僕はマウンドからチラチラとベンチを見たりして、不安げに投げていたんです。だから、たとえ完投してもそんな不安げな姿はエースじゃないと、監督は教えたかったんですね。そして、それを見ていた両親からは「なぜ、監督はああいうふうにしたと思う?」と言われ、その日の試合について話しました。両親との会話の中で、僕は監督の「それでもエースか?!」という言葉には、愛情がたっぷり詰まっていたんだなと分かりました。

監督がいて両親のサポートがある、だからこそ、僕は自分に向けられた愛を理解することができたのだと思います。僕はその日、12歳で「エースと呼ばれる存在」というものに気づくことができました。監督の言葉は今でも胸に刻まれています。

「いいピッチャーがいる」と周りが広めてくれて、プロ野球選手になった

先ほど、プロ野球選手になれた理由は、「精神力」だとお話しました。僕は常に「こんなに練習してきたのだから、負けるはずがない」と強い気持ちを持って、野球をやっていました。高校時代は、「当時大阪で強かったPL学園を倒して、甲子園に出る」と思い続けていました。結果的には、甲子園には出れなかったのですが、地方大会で僕のピッチングを見ていた審判の方たちが、「いいピッチャーがいる」と僕のことを広めてくれたんです。そこでスカウトの目に留まり、ドラフト2位で指名を受けることになりました。だから、強い思いを持っていたら道が開けますし、どんな時も希望を持っていてほしいと思います。

何よりも仲間を大切に

せっかくいる仲間を、大切にしてほしいですね。できるだけ多くの時間を、仲間と一緒に過ごして、いろんなことを相談をしてほしいと思います。遊びの相談でも野球の相談でも、何でもいいですから。それで、影響し合うことができたらいいですね。将来、それが必ず自分の心の支えになるはずです。あと、夢や目標を実現するには、毎日達成したことを頭に描いてください。甲子園に出たいなら、自分の部屋に「目指せ、甲子園!」と書いた紙を貼って、モチベーションを保つのもいいですね。そして、周りの大人もたとえスランプに陥っていたとしても「これだけ練習したのだから、野球の神様は裏切らない」ということを子供たちに伝え続けて、励ましてほしいと思います。今は上手くいかなかったとしても、必ず次につながっていきますから。

【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)

トップページ | 第2回 元西武・鈴木健さん »

スポーツ」カテゴリの記事

野球」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1635646/43858323

この記事へのトラックバック一覧です: 第1回 元日本ハム・岩本勉さん:

トップページ | 第2回 元西武・鈴木健さん »